転職事例/出向・転籍・退職の場合

現役転職コンサルタントが執筆します。

はじめに/大変な時代

by tensyoku on 2014年4月2日

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勤めている企業に事業がなくなり、得意な仕事がなくなれば、ほかの企業に移籍して得意分野で実力を発揮する選択が賢明な時代となりました。

企業に残るための新たな職域開拓や職能開発には、たくさんの時間とエネルギーが必要です。しかし、それほど企業は寛容で面倒見が良いでしょうか?

私たちは文字通り大変な時代の転換期に遭遇しているのです。置かれた環境、立場、役割等は、巡り合わせであり試練なのだと達観するゆとりも必要でしょう。

こちらのサイトでは転籍や出向を契機に転職を決断された方の事例をご紹介していきたいと思います。

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キャリアに磨きをかける

by tensyoku on 2014年8月3日

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「人生山あり谷あり」ということもよく言われます。楽しいこと、うれしいこともあるけれど、苦しく辛いこともたくさんあるのが人生だということでしょう。しかし、その意味するところは、必ずしも一様ではありません。

人生にはいろいろあるのだから、あくせくせず、慌てふためくことなく、泰然としていなさいということでしょうか。

人生で問われるのは、うまく事が運んでいるときではなく、苦しいこと、辛いことにどう対応し、それをどう乗り越えるかこそ大切だということでしょうか。

人生は一直線に進むものではなく、思いもよらない出来事に出くわし、予期せざる事態に追い込まれることがあるものです。安住せず、常に学習と備えが必要であるということでしょうか。

このことに関連しますが、人生は、自らの意志でコントロールできるものではなく、人為の及ばざる対象であるということでしょうか。

この最後の点については、後にもっと突っ込んで論じてみたいと思いますが、従来から人生論における大きなテーマです。ここで一言だけふれておけば、人生のコントロールについては、それができるか否か、可能かどうかが本質的なテーマではないという捉え方が一般的のようです。

自分の生き方は、自分が責任をとる。人の生き方は、自分の問題として本人自身が対処すべきものであるということです。

これ以外の読み方も当然あるでしょう。それにしても、「人生山あり谷あり」というメッセージは、人生訓ないしは人生哲学としての色合いが濃いものです。

生き方を論ずるにあたって哲学は不可欠であり、生きることのビジョンやミッション、理念や理想や思想が重要なテーマである点は明白です。個々人の生き方に則して言えば、こういったものをしっかり身につけていない生き方は、根無し草のように不安定なものになるはずです。

とは言っても人生は実践であり、現実です。したがって生き方を論ずるにあたっては、あわせて、人生に関する客観的なアプローチが必要になります。人生とは何かを客観的に説明すること、生き方のメカニズムに関する論理的解明が不可避です。

再言するなら、あくまでも人生に関する哲学やビジョンを提示することの大切さを前提にしたうえでのことですが、生きるとは人間のどんな生活行動であり、人間のどんな意識が生き方を現実のものにしているかを明らかにする必要があるということです。

そう考えるとき、人生や生き方をキャリアの概念で把握しようとするアメリカの生き方論は、有意義にして有力であるように思います。

これに相当する捉え方や概念が、わが国にはありません。そこで英語のキャリア(career)をそのまま使うことになりますが、浜口恵俊氏によれば、ラテン語の「競路」がその語源ということです。しかし19世紀中頃からは職業上の前進、あるいは職業それ自体の意味となり、さらには一個人の生活の向上をも指すようになったと言われています。

日本では、「個人が職業上たどっていく経歴」(『新社会学辞典』、有斐閣)というように、職業や仕事とかかわらせた使い方が一般的です。「職業的人生」(同)や「職業的経歴」(浜口氏)等もそういった使い方の例ですが、アメリカでも当初はそうでした。

しかし近年では、人々の生き方の全体を視野に収め、一個人の生活の向上といった意味合いで使われるようになっています。つまり、work career からlife careerへということです。職業生活がその中心に位置づけられたキャリアが前者、生活の全体を対象にし、人生の全体を組み込んだキャリアが後者と説明したらよいでしょうか。

なお浜口氏は、個々人の生涯経歴をパーソナル・キャリア、対人関係の側から浮き彫りにされた経歴をソーシャル・キャリア(社会的経歴)と表現しています。浜口氏から見ると、個人の生き方や経歴は対人関係や対人的脈絡を通して形成されるからして、キャリアとは基本的に社会的経歴と見なされるものなのです。一目でキャリアと言っても、子細に見れば、その概念はこのように多様なものです。

話を戻せば、人生や生き方は、キャリアの概念で把握するとき、なぜ有意義であり、有力なのでしょうか。

それは第一に、生き方が人間の行動に則して具体的に捉えられ、地位がもたらす役割行動を通して内容的に語られているからです。詳しくはあとから述べることになりますが、同時に家庭人であり地域人であり組織人である一個の人間として、学習をし、仕事をし、ボランティア活動をし、人を愛するといった役割を要請されることを通して、人々はそれぞれにキャリアを形成していくのです。人々の生き方や人生は、そういったものとしてのキャリア概念を通して検討されるので、文字通り実証的なテーマとなっています。観念的な生き方論や人生訓で終わっていません。

第二にキャリア論は、生き方に関する方法論を持っているということです。冒頭の部分で、「一度限りの人生だから悔いのないように」というメッセージのことにふれましたが、悔いのないようにするにはどうするかに関する一定の処方便を、キャリア論は持っているということです。

また「人生山あり谷あり」というメッセージにもふれましたが、そこで言う山や谷を分析し、診断するための用具をキャリア論は持っています。分析や診断のための用具を持ち、処方便を書いて示せるということは、生き方を論ずるうえで有意義であり有力であるということになるでしょう。

参考にしてみてください。

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高まる生き方への関心

by tensyoku on 2014年7月8日

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一度限りの人生だから悔いのないように、という言い方がよくされます。

「悔いのないように」のあとに来るのは、生きたいか、生きなさいのどちらかでしょう。

つまり「人生は一度限りなのだから悔いのないように生きたい」、あるいは「一度限りの人生を悔いのないように生きなさい」ということ。ただし後者については、「生きるべきである」「生きて当然である」「生きなければ意味がない」といったように、言い方はいろいろあります。

いずれにしてもこう対比したとき、これまでは、「生きたい」は少なく、「生きなさい」が圧倒的に多かったのではないでしょうか。生き方の問題は、もっぱら人生論として存在しており、そう生きたほうがよいでしょう、そう生きることを勧めますというように、いわば勧告や説諭としての性格を持っていました。

ところが、近年、その様相は大きく変わってきました。

人生をどう生きるかは自分の問題であり、他人からとやかく言われる筋合いのものではない。人生論を読んで済ませることがらではない。つまり、受け身の姿勢が一番いけないという認識が一般的となり、「生きたい」のほうが目立つようになってきました。それだけ、生き方の問題が、多くの人々にとって大きな関心事になっているということでしょう。

これまでにも、生き方の問題は確かに存在しました。でも生き方なんて言葉を口にすると、哲学を論じているとみなされ、書生じみていると言われるのがおちでした。

人生不可解なりの遺書を遺して華厳の滝から身を投げた藤村操、あるいはゲーテが書いた『若きヅエルテルの悩み』を例に出して、それは青年時代に固有のテーマとさげすまれておしまい。

よく勉強して上級学校へ進学し、会社に就職して真面目に勤めあげ、相応の役職を得てめでたく定年退職するという路線が、人生行路としてしっかり敷かれている。

改めて生き方なんてこと考える必要があるのだろうか、というわけです。

そういったコースを確実にたどることが、つまり「人生に悔いなし」ということでしたから、生き方をどうするかは発想の対象にすらならなかったようです。

仮に人生設計やライフプランニングということがテーマになったとすれば、それは、次のようなことでしょう。

第一は、どんな学校に進学し、どんな会社に就職し、どんなポストを射止めるかに関する設計であり、プランニングです。そして第二は、定年後における資金計画で、退職金や年金や貯金をどう運用管理していくかに関する設計であり、プランニングです。

しかしながら、今、関心を集めている生き方というのは、より広がりを待ったものであり、言ってみれば人間の生き方に関してもっと本質的な要素を含んだものと言えます。

では生き方への関心が、なぜ広く人々のあいだで高まるようになったのでしょうか。それには、二つの要因が、相互に絡みあって存在していると理解できます。

一つは、先に説明した人生行路が、今や確たるものではなくなったということ。それは特に就職してから定年までの道筋において明白です。いったん就社すれば定年までその会社に雇用されるという保証はなくなっていますし、順序を追って昇進することも、給与が毎年確実にあがるわけでもありません。

そのうえ、会社によっては、基金の積み立て不足のため退職金や年金が減額支給されかねない事態にまでなっているのです。線路がはっきりしない、運転手もいなくなりそうな列車に、人任せで乗り続けるわけにはいかなくなったということ。

いわば会社が頼れなくなった、人生を会社に託したままでは済まされないと多くの人が思うようになったということです。

もう一つは、会社に就職し、組織人として定年まで仕事に精を出すことだけが人生なのだろうかという思いを、多くの人々が心に抱くようになったことでしょう。

新聞に掲載されていた次のような書籍広告のメッセージ、すなわち、「ああ、人生悠々。夏はカナダ、冬はオセアニアに住む快適生活。ゴルフ、釣り、ジャズ、旅行、読書を堪能する日々。多面的に自己実現を成しとげた男のやり方。好きに生きてこそ人生だ」にふれて、自分の生き方の狭量さを思い知らされるサラリーマンも多いのではないでしょうか。

これはある著作の広告コピーですが、同書は7月の時点で25万部売れているとのこと。大きな話題である点は間違いないでしょう。

この隣には大平光代著『だから、あなたも生き抜いて』の広告が掲載されていますが、こちらはその時点で129万部を売り上げているそうです。

「中学二年のとき、いじめを苦に自殺をばかり、かろうじて一命をとりとめる。その後、非行に走り、極道の世界に身を置くまでになる。そして、現在のすばらしい養父と出会い、猛勉強の末、司法試験に合格。いま、非行少年の更正につくしている。凄絶の半世紀」というメッセージにふれて、中途半端ではない生き方、起伏に富んだ生き方、出直しのきく生き方の存在に思いが及び、そもそも生き方とは何かと思案する人々は、たくさんいることでしょう。

参考にしてみてください。

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