転職事例/出向・転籍・退職の場合

現役転職コンサルタントが執筆します。

転職事例7/キャリアと努力で実績を積む

by tensyoku on 2014年5月13日

af0100003714l

「あのとき人事部から出向の話がなかったら、今頃どうしているだろうか」

自動車用品メーカー西日本技研の直江義弘常務は、この頃ふとそう思う。

D化学に入社した直江は、彼の思いとは裏腹に、工場管理室を皮切りに経理・財務畑を歩むことになった。

入社二年後には子会社の管理課に配属され、管理課長、管理部長、さらには管理副本部長と昇り詰めた。その間、原価管理から予実算管理、財務会計、事業部企画管理、経営計画管理と経理・財務のプロフェッショナルとして手腕を発揮してきた。

D化学では60歳定年で再雇用制もなく、定年を過ぎれば退職するしかなかった。

直江は59歳の誕生日を迎え、あと一年で定年退職になる自分を思うと不安がよぎった。

体力的にも精神的にも、さらには能力的にもまだまだやれる自信はあるし、これで自分を終わらせたくないという気持ちでいっぱいだった。

そんな中、人事部より西日本技研への出向の打診があった。同社では60歳以降も働けるとあって、渡りに船と即座に応諾し、面接に臨んだ。

西日本技研の求人条件は年齢が52~56歳までとなっていたが直江の明るさと元気のよさが社長に気に入られ、59歳にもかかわらず、ほかの年少者を差し置いて採用された。

西日本技研は当時経営の一大局面を迎えていた。すなわち自動車業界こぞって不況の中で、工場の増設を迫られていた。西日本技研の受注車種が若者に人気のRV車であり、この車種だけが各自動車メーカーも増産体制に入っていた。

同社の経営陣の中でも、意見が分かれていた。拡大路線を敷きたい社長に対して、銀行から出向している玉造専務は工場増設には慎重だった。

出向当初直江は、経理部長の役職で採用されたが、玉造専務の消極姿勢に業を煮やした社長は、玉造専務の担当であった財務部を直江に任せ、銀行との折衝上、彼を取締役財務部長に昇格させた。

それからの直江は多忙を極めた。連日連夜銀行廻りをし、増設のための資金調達に走った。その功奏して資金調達に成功し、東北の工場増設も順調に進み、新工場の竣工式を迎えるに至った。

直江の粉骨砕身の働きぶりは資金調達後も続いた。すなわち新工場の労働力確保のために地元の学校廻りやらハローワーク、人材会社などにも足を運び、新工場稼働に必要な100名以上の人材を確保したのだ。

財務部長の職務を飛び越えた、新工場建設という西日本技研の大事業を取締役として成し遂げたのである。

同社の社員も出向当初は距離をおいていたが、直江の働きぶりに目を見張り、徐々に距離は狭まり、やがて直江との間に信頼関係が生まれるようになった。

出向し1年後、直江は出向元のD化学の定年を迎え、西日本技研に転籍するときには新工場立ち上げの功績が認められ、常務取締役として迎えられた。一方の玉造専務は退職したそうだ。

参考にしてみてください。

現役転職コンサルタント

Comments are closed.