転職事例/出向・転籍・退職の場合

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転職事例5/努力と実績で転籍に成功

by tensyoku on 2014年4月3日

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「もう少し上手く転職をすればよかった」

田中幸次は、松江市内のビル管理会社「高月興産」を定時に出て、松江市内の自宅に午後七時には帰る。

それからゆっくり風呂に入って、八時前には家族そろって食事につく。家族そろった団梁で、風呂上がりのビールはまた格別だ。

田中は、鳥取の大学の電気工学科を卒業し、同年大手化学メーカーのB化学に入社した。入社当初は鳥取本社の工務部で、全国各地に散らばる工場の電気計装の設計および建設に従事していた。特に建設関係では、各地の工場に出張のため、家を空けることもしばしばだった。

入社後10年を経過した頃、千葉の工場に第一工場建設計画が持ちあがり、田中も電気計装のプロフェッショナルとしてその建設プロジェクトに参加することになり、千葉県へ転勤した。

当初は建設プロジェクトも2年という短期計画で、また、長女が地元の有数の私立小学校に通っていたこともあり、単身赴任することを決めた。しかし二年間の単身赴任のつもりだったものが、実際には10年近くにもおよんだのである。

工場建設は順調に2年間で終了したものの、立ち上げに計装類のトラブルが続出、その修復に時間がかかったのだ。さらにまた、田中の電気計装の知識力が買われ、千葉工場全体の保全部の電気計装担当者として残ることになったのだった。

そのときには前述の長女も中学生で、ますます千葉県への転居はむずかしくなり、単身赴任を継続しなければならなかった。

ただ幸いなことに、単身生活は比較的快適だった。現場近くに単身赴任用の寮が完備しており、食事も祝日以外は朝晩出るし、自室の掃除と洗濯をするくらいのもので、そう苦にはならなかった。

大変なのは実家への帰省だった。会社からは月1回、帰省費用が出るようになっていたが、時間的にも金銭的にも、月1回の帰省が精一杯だった。中学生の長女はそろそろ父親離れしてきたが、小学生の次女はまだまだ父親にベッタリで、それがまた可愛くてたまらなかった。

仕事は順調に推移し、電気計装保全のプロフェッショナルとして、千葉工場全体の保全部長を務めるようになった。

ところが田中はこのまま家族と離ればなれになったままでいいものかと迷いはじめていた。長女は大学生、次女も高校生になり、いちばん父親を必要とする時期に差しかかっていた。

「なんとか鳥取に帰る術はないものでしょうか」。同期入社の人事部の司信也に、とうとう思い切って相談した。

司は「社内ではむずかしいが、社外への出向を厭わないのなら」と、ある大手企業の子会社で、ビル管理会社の高月興産を紹介してくれた。

田中は悩んだ末、その夜、家族と相談した。家族はみんな、出向ということで篤いた。出向といえば今盛んに新聞紙上で話題になっているリストラという暗いイメージがつきまとう。

田中は、自ら進んで転進して行くのだと家族にも、そしてまた自分にも言い聞かせる毎日だった。

高月興産に出向してからの田中は猛烈に働いた。同社は社員のまとまりのよい会社で、その分出向若への風当たりが強い職場だった。おまけにビルの管理軒数も増え、ビルの、電気系統のトラブルも続出していた。田中はこれまでのキャリアを活かし、増大しているトラブルの原因解析を行い、技術者として真面目にこのトラブルと取り組み、かつてないトラブル減少の実績を残した。

風当たりの強かったプロパーの社員も皆、田中を認めるようになった。B化学の転進促進制度による退職金上乗せを適用されて、田中は高月興産に転籍した。そして、家族と暮らせる幸せを手中にしたのだ。

まとまりの強い会社への出向・転籍では、得てして排他的な攻撃にあいがちで、定着への努力が一段と要求されるが、田中の事例は、本人の努力と実績が解決の糸口になったと思われる。それよりもまして、家族と暮らす幸せを何よりも第一優先にした田中の決意がそうさせたのではないだろうか。

参考にしてみてください。

現役転職コンサルタント

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